志望校合格の為に出来ることは全てやっておきたいですね。
合格祈願もその中の一つではないでしょうか。
さて、どこにお参りに行くのがいいのか?
今回は関東3大天神を紹介します。
湯島天神
湯島天神は学問の神様と呼ばれている「菅原道真」が祭られており、毎年多くの受験生や合格祈願をする家族が訪れる場所です。
しかし、湯島天神の御利益は学問だけではないのです。
この他にも縁結びや病回復、勝利祈願などにも効果があると言われており、都内有数のパワースポットとしても人気を得ています。
湯島天神は451年に雄略天皇の命令により、天之手力雄命を祀る神社として創設しました。
その後、1355年に菅原道真が神社に合祀されました。
江戸時代では徳川家から信仰され、多くの学者や文人が参拝するようになり、神社は大いに栄えます。
また江戸時代後期は境内にて富くじが行われ、庶民の間で人気となりました。
明治時代でも人々の神社に対する信仰の気持ちは衰えることなく、現在に至ります。
これが湯島天神の歴史です。
湯島天神には「撫で牛」があります。これは自分の体調の悪いところと同じ部分を撫でると不具合が回復すると言われています。
その為骨折してしまった人は骨折箇所を撫で、花粉症の人は鼻を念じながら撫でると良いです。
また「奇縁氷人石」は江戸時代に伝言板の役割を担っていた石です。
身の回りに落し物や迷子がいる場合、この石にお願いすると見つかると言われているのです。
そして湯島天神の梅園には、白梅が約300本も植えられています。
毎年2月上旬から3月上旬に梅まつりが行われ、珍しい梅のライトアップも行われます。
この梅まつりの他、湯島天神では1年を通じて様々な行事を行っています。
その中でも特に有名なのが、毎年5月25日に行われる「例大祭」です。
このお祭りでは、山車やお神輿が町内を練り歩き、奉納舞なども行われます。また毎年11月には菊まつりも行われ、多くの人が秋を満喫できる祭りとして訪れます。
多くの人々が湯島天神に訪れた際、持ちかえる物がお守りやお札です。
ここでは定番の合格祈願から就労祈願、厄払い、家内安全などがあります。
その中でも特に鉛筆が人気です。
湯島天神の鉛筆は1本ずつ別々の格言が書かれており、多くの家族や受験生が購入しています。
<場所>
亀戸天神社
亀戸天神社は東京都江東区の亀戸にある神社で、菅原道真を祀っていることで知られています。
菅原道真は西暦900年頃に実在した人物で、平安時代の貴族であり、学者や政治家としても活躍しました。
今では学問の神様として親しまれていますから、1月2月の受験シーズンには、多くの学生達が亀戸天神社にやってきます。
亀戸天神社の歴史は1600年代にまでさかのぼり、菅原道真の末裔の神官、菅原大鳥居信祐が天神信仰を広める為に、諸国を巡ったのがルーツとされます。
1661年に江戸の本所亀戸村にたどり着き、そこにあった天神の小祠に天神像を奉祀したのが始まりです。
当時は、明暦の大火の被害を受け復興を目指している江戸幕府が、復興開発事業の地と本所の町を定めています。
四代将軍の徳川家綱は、鎮守神として祀るように現在の社地を寄進しました。
翌1662年には、社殿と楼門や回廊に心字池など、太宰天満宮にならって造営されています。
本殿にある扁額は、御本社の筑紫国太宰府天満宮宮司の西高辻信貞による揮毫です。
総本社の太宰府天満宮に対して、東の宰府は東宰府天満宮、もしくは亀戸宰府天満宮や本所宰府天満宮と呼ばれていました。
1873年に府社となって亀戸神社と定められ、やがて1936年に亀戸天神社と名称が改められています。
このように、亀戸天神社には約400年もの歴史がありますから、それだけ地域に根づいているといえますし、今でも強い存在感を示し続けることが分かります。
毎年1月のうそ替え神事という行事でも有名で、前年の嘘を納めて新しい嘘を求める、珍しい神事に人が集まります。
これは凶を嘘として吉にとり替わる、そういった言い伝えから伝統的に執り行われている行事です。
うそ替え神事は1月の24日と25日限定ですから、この2日間は学問の神様への祈念も兼ねて、東京だけでなく全国からやってくる学生で特に賑わいます。
歴史があるだけ重みが感じられますし、神社の雰囲気も魅力的ですから、興味を持ったり祈念したくなったら亀戸天神社を訪れてみましょう。
<場所>
総武線亀戸駅下車 北口より徒歩15分
谷保天満宮
谷保天満宮は東京都国立市の甲州街道沿いにあり、南武線の谷保駅が最寄駅です。
東日本における最古の天満宮で、亀戸天神社、湯島天満宮と合わせて関東三大天神と呼ばれています。
谷保天満宮のご祭神は学問の神様で知られる菅原道真公と、その三男の菅原道武公であることから毎年多くの受験生が参拝に訪れますが、1月~3月にかけては鮮やかな梅の花が境内を彩っており、国立駅前の桜並木と並んで国立市の春の名物となっているため、参拝客や見物客も大勢訪れます。
谷保天満宮の歴史は古く、903年(延喜3年)2月に菅原道真公が薨去したという知らせを聞いた道武が自ら父の像を彫り、現在の府中市本宿にあたる天神島に廟を建てて祀ったのが創建とされ、921年(延喜21年)に道武が薨去すると、道武も一緒に祀られました。
それからおよそ30年後に、京都の北野天満宮を造営する際、村上天皇の勅命により谷保天満宮にも神殿が造営され、平安時代の後期になって現在の国立の地に遷座されています。
谷保天満宮のご利益は受験合格と学業成就として知られていますが、交通安全発祥の地としても有名です。
明治41年に「遠乗会」と称された日本初のドライブツアーが、有栖川宮威仁親王殿下のご先導によりこの谷保天満宮を目的地として開催されました。
国産初のガソリン自動車であったため道中の安全が心配されていましたが、天満宮に到着した殿下御一行は本殿に参拝の後帰途に就き、無事に事故に遭わず戻ることができたことがその由来です。
天満宮の境内の梅林で昼食会が行われたため、境内には「有栖川宮威仁親王殿下台臨記念」の石碑があり、現在でも見ることができます。
なお、神社は鳥居をくぐった先の高所に本殿があるのが一般的ですが、谷保天満宮は神社には珍しく、本殿が参道よりも低い位置にあります。
これは、江戸時代までは甲州街道が現在の場所ではなく本殿よりも低い位置にあったのですが、水害などにより多摩川の流路が変わる影響で街道の経路も変更され、江戸時代に現在の形に落ち着いたといわれています。
<場所>
人物紹介 菅原道真
学問の神様といえば、太宰府天満宮が有名ですがその太宰府天満宮にまつられている一人が菅原道真になります。
菅原道真は、平安時代に生まれており朝廷につかえる家柄として知られていました。
菅原道真の生い立ちを見ていくと、5歳にしてすでに天才といわれるほどの能力を持っていたとされています。
どのようなことをしたかといえば、和歌を5歳の段階でたしなんでおり、周りの人々を驚かせたといった逸話があります。
実際に、その当時作った歌が今でも残されており子供を離れした能力があることを理解することができるでしょう。
青年期に関しては、学問にはげみ学者としての最高位の身分を手に入れることができました。
学問で注目されているのは、そのような理由があります。
これに加えて、文武両道に申し入れており、弓に関しては、百発百中といえるほど正確な腕前を持っていたとされているわけです。
このように、才能を持っていた菅原道真は、そのまま大人になると人柄の良さから多くの人にもてはやされる一面もありました。
ですが、人生はそのようにうまくいくことばかりではありません。
功績はあったものの、右大臣に任命された後に左遷されることになりました。
左遷された理由は身に覚えのない罪をかぶるわけです。
つまり濡れ衣を着た状態で左遷されたわけです。
せっかく右大臣まで上り詰めたにもかかわらず、太宰府天満宮のある太宰府に左遷されてからは、失望の中で生活を送っていましたが、その半面皇室の安泰と国家の平安を祈りそのために人生をささげたといっても過言ではありません。
後年になってから、実は菅原道真は無実だとする考え方もあり、その後神様としてまつられるようになりました。
それが、太宰府天満宮の学問の神様と呼ばれるゆえんです。
このように、学問の神様だからといって、単に頭がよいわけではなく様々な人間関係により日の当たらない坂道を歩むことになった経験を持っており、現代でもその生き方を参考にする人は少なくありません。
最後に
あなたの努力をきっと神様が見守ってくれているはずです。
自分の力を信じ、最後まで努力を重ね、是非目標を達成して下さい。